男なら黙って読むべし
女ならこんな男を探すべし
フランコさんのイタリア通信。より
アズーリにいちばん近いイタリア人の生活と意見。
みんなの知らない
マンチーニの「もうひとつの顔」。
こんにちは、フランコです。
日本では大きな台風がいくつも来て、
大変だったようですね。
鈴鹿のF1グランプリのニュースが
イタリアにも届いているのですが、
そのとき台風のことを伝えていました。
災難は、こちらの都合にはおかまいなくやって来ます。
だれかが困難にあっていれば、援助するのは当たり前だと
言うのは簡単ですが、実行するには勇気がいるものです。
お金に余裕があれば寛大にもなれるものですが、
どんなときでも、自分の気持ちを
形で人に伝えようとする勇気のある人は、
少ないのではないでしょうか。
とくにサッカー界では‥‥。
しかし、その少ない中のひとりである人物に、
ロベルト・マンチーニがいます。
彼がサッカーのほかに何をしているか、
きょうはお話ししたいと思います。
オシャレで才気あふれるマンチーニ。
でも彼にはもっと稼がなければならない
理由があった‥‥。
マンチーニは選手としても
偉大なチャンピオンのひとりでした。
そしてこの数年はセリエAで監督をしています。
まだ40才になっていない彼ですが、
とても人望が厚いのです。
洒落者としても知られています。
ジョルジオ・アルマーニのジャケットを着こなし、
シャツと良く合ったネクタイで決めています。
有名ブランドの時計をコレクションし、
ヨーロッパでもっとも高価なバカンスの地、
サルデーニャ島のエメラルド海岸──
コルシカ島との間のキラキラした海を望む、
夢のような海岸に、
邸宅と全長36メートルのヨットを持っています。
そう、イタリア的人生の成功者と言っていいでしょう。
彼は、お金持ちで美しく、そして有名です。
しばしばテレビに登場しますが、
彼の洗練された身のこなしや語り口からは、
非のうち所のないイタリア男だという印象を受けます。
まるで名声のあるスター俳優のように、
彼に向けられるのは、羨望のまなざしと、ため息です。
彼がインテルの新監督に決まった時に、
ぼくは、ここに速報を書きましたね。
しかし、カンピオナートの幕開けには、
華々しい勝利はありませんでした。
すでに、嘆きながら以前の監督たちのことを
思い出している人たちもいます。
5ゲーム終ったところで、
もうユベントスとは6ポイント離れています。
UEFAチャンピオンズ・リーグでは
2戦2勝しているのですが、このスタートに
多くの人たちが、少々、がっかりしています。
でもマンチーニ本人は、へこんでもいられません。
彼には、もっと稼いで、
もっと有名にならなければいけない理由があるのです。
マンチーニが全収入の1割を
寄付しようと思い立ったのは‥‥。
彼の活動のひとつに、
親に恵まれない子供達のためのプロジェクトがあります。
そのプロジェクトについて、
彼は多くを語りたがりませんし、
マスコミを通して公にしようともしないのですが、
彼はそのプロジェクトに心血をそそいでおり、
そのためにもっとがんばらなくてはならないのです。
マンチーニは大金を稼げる男です。
でもインテルと、
そのオーナーのマッシモ・モラッティに対しては、
特別に安い値段で契約しました。
最初の1年の年俸は100万ユーロです。
(註:100万ユーロ=約1億3500万円)
そして、もしカンピオナートかコッパ・イタリアか
UEFAチャンピオンズ・リーグのどれかに優勝したら、
約300万ユーロ(約4億円)もらえる約束です。
彼の、そういった全報酬の10%が、
孤児たちのために寄付されることになっています。
その寄付で、親の運に恵まれなかった子どもたちのために、
幼稚園や学校を建てようというわけです。
マンチーニは1988年から、
恵まれない子どもたちを援助をしていますが、
そのきっかけになったのは、
彼の出会った驚くべき経験でした。
当時彼の所属していたサンプドーリアが、
コッパ・ヨーロッパのために
ルーマニアの首都ブカレストに行った時のことです。
試合の日の朝、
マンチーニは友だちのひとりと一緒に
ブカレストの街を散歩していました。
チャウシェスク政権に搾り取られて飢えた国の、
飢えた首都です。
ふいに、5才から9才くらいの子どもたちが
10人ばかり現れて、彼らに物乞いをしました。
その子どもたちは、
ブカレストの下水道の一部であるトンネルから
出て来たのでした。
マンチーニは、持ちあわせの全部である
20ドルほどのお金を、彼らに与えました。
それから、また地下のトンネルの中に戻って行った
子どもたちについて行きました。
そこで彼が見たのは、彼の人生で出会った事のない、
まったくの別世界でした。
その下水道の中にはネズミや臭い汚水と一緒に、
なんと幾十人もの子供達がいました。
まるで神に見捨てられた民のように。
「チャウシェスクの子どもたち」
と呼ばれた子どもたちです。
チャウシェスクの独裁下、人口増加政策にもとづき、
避妊や中絶手術が禁止された時代がありました。
ルーマニアの人々は、最低4人の子どもをもうけると、
食料などのいろいろな配給がもらえることから、
たくさんの子どもたちが誕生することになりました。
しかし独裁政権が倒れたあと、
食料の配給もなくなったとき、
そういった子どもたちが、
ブカレストの市中に捨てられることになったのです。
おそろしい話ですが、この子たちのなかには
臓器売買のために連れていかれる子もいましたし、
生活のために売春や麻薬の売買に
手をそめざるを得ない子も出てきたのです。
住む場所のない彼らは、
大都市ブカレストの下水道で身を寄せ合って
動物のように暮らしていました。
ゴミの中から見つけた物や、じゃがいもの皮まで、
手当りしだいになんでも食べながら‥‥。
空腹は人間の最悪の敵です。
ましてや食べ盛りの子どもにしてみたら。
汚れた顔、栄養失調でやせ細ったからだ、
伸びた爪、シラミだらけのゴワゴワの髪。
何人もの子どもたちが、
飢え死にしないために人生と闘っていたのです。
ぼくは、彼のような人が
ほんとうのチャンピオンだと思う。
そんな現場をまざまざと見たマンチーニは
吐き気をもよおし、
トンネルの外に出て、本当に吐きました。
彼は泣いていたということです。
そのときマンチーニはまだ25才で、
自分が存在する事を恥じたといいます。
自分が当たりまえに健康で裕福である事を恥じたと。
ショックのあまりヨレヨレになりながら、
彼はカンプドーリアが泊まっていたホテルに戻り、
すぐさまチームの幹部や同僚を呼んで、
彼らの持ちあわせをすべて貸してくれるように頼みました。
すべて、というわけにはいかなかったのでしょうが、
当時のお金にして10000ドルが集まりました。
その紙幣をポケットいっぱいにつめて、友だちと一緒に、
人間だけでなく神にも見捨てられた、
あの子どもたちと出会った場所へ、彼は戻っていきました。
そして、泣きながら、
もっと持って来られなくて恥ずかしいと
イタリア語で言いながら、みんなにお金を配りました。
これが、恵まれない子どもたちへの
彼の援助のはじまりです。
報酬の10%を恵まれない子どもたちに寄付するつもりだと、
マンチーニが言った時、どういうことなのか
マッシモ・モラッティには良くわかりませんでした。
でも本当に、9月末にマンチーニが
報酬の90%を受け取りながら、
ウンブリア地方のアッシジと、
マルケ地方のイエージにあるふたつの慈善団体に
送金するようにと言った時、
やっと訳がわかったモラッティは部下たちに向かって、
このことを誰にも何も話さないようにと命じました。
ロベルト・マンチーニが、スクデットか
コッパ・イタリアかUEFAチャンピオンズ・リーグを
勝ち取るかどうか、ぼくには予想できません。
もしかすると、彼がサッカーの監督としては、
あまり勝たないということだって起こり得ます。
だとしても今の彼の人生を、
10回以上のスクデットを勝ち取った場合と
くらべられるものでしょうか‥‥?
Vamos湘南ベルマーレより
愛され続ける「理由」
なぜそんなにも、サポーターから愛されつづけてきたのか。今シーズン、FC東京から移籍加入したアマラオ選手がサポーターから愛されつづける理由を改めて考えていた時、こんな出来事があった。
ある時、クラブハウスにサポーターの方からアマラオ宛てに一通の手紙が届いた。FC東京にいた当時からアマラオの大ファンだという少年の両親より、息子が何度かサインをもらったことがあるということ、そして現在闘病生活を送っており病床よりいつも応援しているということが記されていた。
手紙を読んだアマラオは、早速その少年に手紙を書いた。そしてベルマーレのTシャツにサインを入れた。それも自分のサインだけではなく、チームメイト全員のサインを入れたものを贈ろうと、自ら選手全員にサインをもらって歩いた。
「優しいね」と声をかけると、アマラオは首を振り、本当に優しい笑顔で手を心臓に当てた。そして一言、「人間だからね」と言った。
アマラオから少年にあてた手紙には、こうつづられていた。「初めて会ったのは東京スタジアムでしたね。サッカーって素晴らしいと思わない?だってこうして君と僕のように友達になることができるんだから。僕とひとつ約束をしましょう。頑張って100%よくなること。そうしたらまた会いましょう。一緒にサッカーをしたりテレビゲームで遊びましょう。約束は成立かな?お互いに頑張ろうね。-永遠の友達、アマラオより」。
アマラオは、多くのサポーターのうちの1人であるその少年のことを、心から心配していた。彼は、多くを語るわけではない。自分のしたことを決して自慢にすることもない。彼は、人に対して自分には何ができるのかということを常に考え、そして考えるだけではなく、行動に移すのだ。それも、ごく自然に。
なぜサポーターから愛されつづけるのか。それは、彼が「人間だからね」と言った時に手をあてた場所、つまり「ハート」の部分の温かさに違いない。
無くしちゃいけないもの...信じる強さ、貫く強さ、それが男だと...スポーツナビより
6.19 W杯トルコ戦後 日本代表23選手 一夜明け会見
■中田英寿 「個々がもう少し力を発揮できなかった」
終わったので特にこれといった気持ちはない。正直なところ、前回と比べてると、日本での開催ということもあって、「W杯(ワールドカップ)に出たんだ」という気はしない。強豪のドイツ、ブラジルと当たらなかったこともその一因だと思います。自分たちがチャレンジして、ぎりぎりでの勝負があったら良かったと思います。やはり、何か足りなかったなという気持ちはある。W杯で引き分けや勝利を経験し、精神的に強くなったと思う。監督には多くを教えてもらった。(敗戦に)最終的な部分で、個々がもう少し力を発揮できなかった。
(今後の日本サッカー界にとっては)やった僕たちがどうこうと言うよりも、見てくれた人たちが、どう思うかということ。代表レベルとかの試合は観客も入って盛り上がるけど、国際レベルではない試合で、いかにレベルを上げられるかが重要だと思います。このW杯は、引き分けから始まって、勝利も敗戦もありましたが、みんな精神的に強くなった。4年前から合宿や試合などをずっとやってきて、一番やりやすかった。試合を通じて強くなれたと思う。
今回のベスト16という結果が日本のサッカーにもたらすものは、プレーをした僕たちがどうのこうのというよりも、代表レベルでなくJリーグのレベルで、みんながサポートしてくれるようになってくれたらいいと思う。今日からオフ。1カ月休みがあるので休みます。
■三都主 「次は海外でやりたい」
トルコ戦のFKは自分で「けらしてくれ」と言った。本当は伸二(小野)か英(中田英)がけるんですが、前半40分をすぎて、何となくいけるような気がして、自分で言いました。先発で出た最初の10分から15分は、ボールが自分のところに回ってこなくて、うまくいかなかったので、自分で左だけでなく、右にも入ってスピードを生かすプレーを心掛けた。良くなったところで前半が終わって、ハーフタイムではトルシエ監督に「おまえは良くやった」と言われて、鈴木を入れることを聞いた。(トルコ戦は)45分間で結果が出せなかった。何かが足りなかった。次のW杯までにそれを見つけたい。
(今大会は)最初のうちはいい動きができなかったが、途中からスピードが出てきた。FWだったが、ボールを持った時はウイングみたいな感じだった。このW杯の期間はみんなといて毎日楽しかった。でもコンビニに行けなかったのはつらかった(笑)。期間中は、試合があるときもないときも充実していた。今日でこの代表チームが終わるが、今後はJリーグにもサポーターが来てほしい。(Jリーグで)5年間プレーしたし、次は海外でやりたい。イタリアやスペインに行きたいが、イタリアだとまた言葉を一から覚えないといけない。
■稲本潤一 「チームとして個人として消化不良で悔しい」
最後の2試合はあまりいいプレーができなかった。悔しさの方が強い。チームとしても個人としても消化不良。2試合の交代はしょうがないと思っている。絶対的な力が足りなかった。大会を通じて、2点取ったことよりも初戦のベルギー戦で引き分けたのが、個人としてもチームとしても自信になった。アーセナルへ行って、各国の選手の中で名前負けせずに、練習を一緒にやってきたことも大きかった。「これからも試合に出たい」という気持ちが強くなった。自分としては外の環境に出て、激しいサッカーをした方が上達する。下の世代がアピールして、上の人が負けたくないと思ってくれることが、レベルアップにつながると思う。日本全体のレベルアップにもなる。日本での開催は重圧というよりも、ホームという利点の方が大きかった。
自分たちユース世代は、この4年間代表チームの底上げをしていくのが使命だったと思う。今回のW杯では監督からは、もっと前に出て行くように言われていたので、それができて、点も取れてよかった。
■小野伸二 「トルシエにはいつか成長した姿を見せたい」
(対戦相手が)外国人ということを意識せずにやれた。日本にあのまま残っていたら、今ごろはびびっていたかも。海外でプレーしたことが生かせたと思う。いい子ちゃんじゃなくて、自分の思うままにやるようにしたい。高校まではだれにも気を使わずにやっていたが、けがなどもあって、周囲を考え過ぎて、マイナスに考えるようになっていた。今回の経験から「このままではいけない」、「殻を破らないといかないといけない」と思った。
トルシエ監督には、いろいろなことを教えてもらった。トルシエの4年間を振り返ると、たしかにつかみかかってきたこともあって、「今までと違うな」という感じはあった。ただ、僕らもだんだん彼がいつ怒るかというタイミングもだんだん分かってきたし、慣れてきたというのはあった。日本のサッカーの質や考え方も変わった。トルシエ監督にはいつか会ったら、成長した自分を見せたい。今大会は予選をしていないけど、本大会よりも厳しいと思う。次の(2006年)大会は大事。
■楢崎正剛 「成長という実感を持って臨めた」
この大会は、自分がこの4年間で成長という実感を持って臨めたと思う。大会前は3人のゴールキーパーでだれが使われるか分からなかったが、かえってそれが緊張感となった。トルコ戦だけなら残念だし、悔しい。でも、チームのみんなで1次リーグを突破できたのは、非常にうれしい。試合に出られたことも自信になった。
■川口能活 「4年後に必ず借りは返す」
試合に出られなかった悔しさはあるけど、4年後に必ず借りは返す。日本は戦術と組織で世界と互角以上に戦えた。ただもっと魂を見せられたと思う。
■曽ケ端準 「悔しさをどう生かすかは自分次第」
大きな大会で試合に出られない悔しさを、世界ユース選手権、五輪と続けて味わっている。この悔しさをどう生かすかは自分次第。1日1日を大事にしたい。
■宮本恒靖 「日本の特長を生かしてやっていくべき」
日本のプレスや運動量は世界でも高いレベルにあると思う。この先も、その特長を生かしてやっていくべきだ。(トルシエ監督は)本当に熱い監督だった。このW杯を通じて選手という立場でなく、大会の運営とかそういった部分を含めて、勉強になった。
■服部年宏 「意識の高さがあった」
前回は海外に出た選手もやっている選手もいなかった。個人レベルは上がった。意識の高さがあった。(W杯初のプレーに)いつもと同じ感じでやれた。
■中田浩二 「プレーの幅が広がった」
トルシエには世界ユースからも含めて育ててもらったと思っている。ボランチだったのをサイドで使ってプレーの幅が広がった。新たな一面を引き出してくれたと思う。次の代表チームの監督は代わるが、プレッシングサッカーは世界に通用すると思う。自分の力はすべて出せた。もう世界の強国と戦う上で劣等感はない。日本は世界と互角以上にやれる。
■松田直樹 「上のレベルの選手を追い抜くように」
W杯の真剣勝負は今までにない重圧だったし、いい経験になった。あらためてすごい舞台と感じた。多くの課題も見つかった。今後はプレーの幅を広げたい。今後の自分の課題はJリーグの中でも自分より上のレベルの人もいるので、そういう選手の人を追い抜くようにしていきたい。それが4年後につながると思う。
■森岡隆三 「フラットスリーは自分たちで修正した」
大会期間中に、フラットスリーのラインを上げすぎないように修正したのは自分たちの考えだった。それもトルシエも受け入れてくれた。彼は規律の中にも自立を許容しているので、特にもめたということはない。魂が抜けちゃった。個人的にはけがで1試合しか出られず、悔しい。日本の組織サッカーは世界に引けを取らずやれたと思う。誇りを持っていい。
■秋田豊 「知っているつもりだったが、それ以上の舞台」
出番がなかったのは残念だが、日本のみんなが応援した代表で戦えたことに満足している。W杯を知っているつもりだったけど、それ以上の舞台だっただった。
■明神智和 「もう少し上に行けるチャンスあった」
トルコ戦の敗戦は、具体的にこれだというものは分からないが、小さいことの積み重ねだと思う。自分としては、トルシエに右サイドで使ってもらってプレーの幅が広がったと思う。成績より、ひとつの試合に負けてW杯が終わり、悔しい気持ちが強い。もう少し上に行けるチャンスはあった。選手としてW杯に出られて本当に幸せ。
■福西崇史 「代表チームには、厳しさも楽しさもあった」
試合に出るために、いい緊張感を持ってできた。出場時間は短いが、出なかったのとは全然違う。この代表チームには、厳しさも楽しさもあった。
■小笠原満男 「解散するのがもったいない」
自分の内容は今ひとつ。W杯という雰囲気はあまり感じなかった。メンバーが発表になってからチームが戦う集団になった。解散するのがもったいない。
■森島寛晃 「少しでも長くこのチームでやりたかった」
チームはいい雰囲気だった。少しでも長くこのチームでやりたかった。(監督には)けがで1年半、離れていたのに大舞台で使ってもらい感謝している。
■柳沢敦 「スピードも技術もまだまだ」
自分はまだまだだった。スピードも技術も。強い気持ちを持って、それらを身につけたい。日本は、4試合の中で十分に持ち味を発揮できた。
■西澤明訓 「ゴール前でのイメージをもっと増やしたい」
トルコ戦はシステムが変わったという理由で負けたと思っていない。予選リーグで当たった相手よりも手ごたえがあった。これだけの大舞台で経験したことは一生忘れない。これからの課題も見つかった。ゴール前での(プレーの)イメージをもっと増やしたい。
■中山雅史 「現役を続ける限りは代表にこだわる」
(W杯について)具体的には整理がつかないが、まだ1つ2つ足りないものがあるのだと思う。それは個人個人がしっかりと課題として克服していけばいいと思う。チームはすごく成長した。終わった瞬間はW杯の舞台から去ることを、すごく寂しく思った。現役を続ける限りは、代表へのこだわりは強い。
■鈴木隆行 「いい目標ができた」
――ゴールを決め、最高の誕生日(鈴木の誕生日は6月5日)になった
ちょうど1年前もコンフェデ(コンフェデレーションズ杯)の期間中に誕生日を迎えて、みんなにお祝いをしてもらって非常に感動したが、それ以上に今年の誕生日は楽しかった。
――それはいいチームの中で戦っていたから?
本当に何回も言うようだが、(みんなと)一緒にやってて楽しかったし、ほんとにいいチームワークでできたので、そういう人たちにお祝いしてもらって、一生忘れられないような日になったと思う。
――今回この大会で一番勉強した点は
トップレベルのサッカーを経験できたこと。この先サッカーを続けていく上で、いい経験になったと思うし、いい目標ができたとも思う。
――サポーターの声に、鈴木選手のゴールがなければ、その後の稲本さんの2点目、ロシア戦、チュニジア戦の勝利がなかったという声が非常に多かったが
僕自身はそう思っていないが、僕が点数を入れなくても、ほかの人が入れていただろうし、十分勝てていたと思う。
――1年前の2ゴールから1年は長かった?
それは、よく分からない。
――今大会の収穫について
トルシエ監督にはJリーグでは考えないような高いレベルのサッカーを教わった。W杯では自分が驚くほどの差はなかった。やれるという自信はついた。
■戸田和幸 「正々堂々、気持ちを込めて戦えた」
――トルコ戦が終わって1日経ったが今の心境は
さわやかです。
――ここまでの日本代表の戦いを振り返ってどんな戦いだったか
一丸となって、前向きに、正々堂々と言うか、気持ちを込めて戦えたなと思う。
――チームとして、1位で決勝トーナメント進出という結果を残したが、この結果については
満足です。予選リーグを突破するというのは、W杯(ワールドカップ)が始まる前からの目標ではあったが、それに対してはホッとしている部分もあるし、負けてしまったことに対しては残念だという気持ちもすごくあるので、どっちとも言えない。けれど、始まる前は3戦全部負けるかもしれなかったし、そういう意味では、とりあえずは目標を達成したのでホッとしている。でもやっぱり、もうちょっとまだ(ワールドカップに選手として)いたかった。
――W杯の前にイメージしていた世界との違いはあった?
やっぱり疲れた。どの試合も出し惜しみすることなく、自分の持っているものを100パーセント出さないと勝負にならないとイメージしていた。実際に限界まで出して、やっと勝負できたなと思う。一つのミスが命取りになる怖さを実感した。個人としてはゲームの流れを読む力がなかった。精神的にも疲れ果てた。ただ、最高の集中力で戦えたとは思う。
――4試合を通して、戸田選手のいいプレーが見れたが、やっている方としてはどう思うか
いいプレー、悪いプレーというのは、自分で言うことではないと思う。自分の役割を意識して、自分のできることからやっていこうというのは、自分のテーマとしてあったし、それについては、最低限のことだけかもしれないが、最高の集中力でプレーできたと思う。
――「自分自身の役割」とは具体的にはどういう役割だったか
中盤なので攻めと守りのつなぎ目でもあるし、攻めの時はリズムを作ったり、ボールをうまく動かしたり、ディフェンスの時は、まず最初にプレッシャーをかける役目だった。それこそ休む暇もない仕事だったが、(攻めと守りの)どっちに偏ることなくできたと思う。でも、やっぱりディフェンスを意識していたので、相手のキーマンを意識してポジションを取ったりだとか、そんなにズレることなく乱れることなくやれたかなと思う。
――実際に世界の選手たちと真剣勝負をしてみて感じたことは
スリル満点、シビれた。「こんなに疲れるものなのか」とか、「こんなに辛いものなのか」とか、「こんなに勝つのは大変なんだ」としみじみ感じた。でも、気持ちでは負けてないと感じた。自分がトライしようと思い描いたことはいろいろできたと思うので、そんなに落ち込むことはない。ひとつ手ごたえはつかんだと思う。
――W杯を楽しむということは全然なかった?
それ(W杯)を楽しんだと言えば楽しんだが、ほんと突っ走っていた感じなので、こうやって余裕を持って考える暇もなかった。ただ、やっぱりああいう舞台で戦えたことは幸せだなと思うし、自分の財産になると思う。今後に生かしたい。
――ホームでのW杯という意味では、一生に一度の大会だったと思うが
初めてのW杯がホームなのでほかの大会と比較することができないが、これだけ大きなサポートを受けてプレーできたっていうのが、結果にも大きな影響を及ぼしていると思うし、そういうのはプレーしていても感じて幸せだった。
――ほぼ1カ月間、日の丸をベースにずっとW杯のための準備、トレーニングを積んできたと思うが、この1カ月を振り返って、どんな1カ月だったか
緊張とか、そういったものの連続だった。もちろん自由のきかない生活がベースだったので、多少不自由な面もあったが、チーム全員が一丸となって、勝利に向かうという意識で生活のすべてを行ってきたので、それが結果にもつながった。そんなに生活が不自由に感じることもなく、早かったなという印象。
――このグループでW杯を経験できたというのはどういう思いか
23人だけじゃない。いままで代表にかかわった選手とか、すべての人を含めてこの雰囲気を作ってきたと思うし、僕は最後にたまたま残っただけなんです。やっぱりチームのためにという意識が全員にあったから、こういうチームになっただろうし、みんなに感謝している。誇りにも思う。またこういう舞台で、みんなで一緒にやりたいなと思う。
――ベスト8を目前に本当に悔しい負け方をしてしまったが、この壁を乗り越えられなかったことについて、戸田選手自身はどう考える?
確かに評論家や肩書きが付いている人は、たまにテレビで見るが、いろんなことを言っているけど、これが真剣勝負。そんなに簡単に勝てるものでもないし、実際にあの舞台に立った選手は本当に死ぬ気でやっていたと思う。その舞台に立ったことのない人が何を言っても、僕は何とも思わない。もちろん、素直に受けとめる部分もあるが、だからと言って自分たちの戦いを恥じることはないし、本当に胸を張って精一杯やったと言える。負けたということは、何か足りない部分があるのだろうが、それはこれから(克服していく)。昨日までの時点で、やれることは100パーセントすべて出したと思うし、僕は胸を張っていいと思う。
――戸田選手が足りないと思うのは何か
足りないもの? 足りているものもたくさんあるって分かった。ああ、やれるな、負けてないな、ということがたくさんあったが。このレベルでやっていると、やっぱり一つのミスとか、一つのチャンスを決めるこで試合が大きく変わるなと実感するし、そういう怖さ、大事さを感じた。
――トルシエ監督がこれで監督を退任するようだが、トルシエ監督にはどういう思いがある?
オリンピックの時からいろいろありました。ただ、そういうことがあった時に、逃げずにぶつかっていったという自信もあるし、そういう中で自分の足りないところとか、自分が無くしちゃいけないものとかを見つけてここまでやって来れたので、監督自身から見習うところはたくさんあった。自分を信じる強さだったりとか、自分を貫く強さ。監督から選んでもらったという意識はない。(W杯出場は)自分で勝ち取ったもの。でも、一緒に仕事をやれてよかったなと、今は思う。いろいろなものをまた発見できたなと思う。
――トルシエ監督から一番学んだ部分は
学んだというか、鏡のように、おれは間違ってないな、ここは直さないといけないなというように、彼を通して自分を見ることができた部分はたくさんある。それはちゃんと正面からぶつかっていった結果だと思う。僕は思ったことは言うタイプ。それがプロだろうし、それが男だと思うので、そうやってぶつけ合った結果がこのようになっているのだろうから、そういうものの大切さや、コミュニケーションの大切さを学んだ。だから、ここまで日本が戦えるようになったと思う。
――サポーターは4年後にもう一度(W杯に)行ってくれると信じているが
4年後のW杯というよりは、自分が目指す場所があるので、それに向かってまた頑張っていけば、そういったものが後から付いてくると思う。
――あれだけのプレーを見せれば、海外でプレーする機会もあると思うが
話があったら。話があれば、考える。やれる自信はあるが。チャンスがあれば。
――当然そういった話があれば、気持ちとしては
そういった人間だから。チャンスがあれば、少しでも飛び込みたい人間なので。怖いことは何にもないし、恐れることも何にもないので。そこが自分の求める場所ならば、進んでいくと思う。
――チームメイトで海外でプレーしている選手と長く一緒に時を過ごしたが、そのあたりでなにか感じる部分はあったか
そういう部分で、自信は感じる。たくましさだったりとか。それは今の僕らにはなかったりするものだから、それはそこに行かないと手に入らないものかもしれない。うらやましいという気持ちはないが、刺激になるし、仲間としてにやれてうれしかった。
――これからしばらく休みになるが、エスパルスも待っている
ちょこちょこ連絡を取ってたので、また一緒にサッカーをやりたい。
――休んで一番最初に何がしたい?
何にもしたくない。のんびり、ゆっくりしたい。
■市川大祐 「W杯に立てことは大きな成長だった」
――(トルコ戦、敗戦後)はどんな思い
やっぱり、テレビとかを見て、「本当に負けたんだな」と。「ああ、これで終わったんだな」という実感がわいてきた。
――宿舎に入ってからは
4年前は立つことができなかったW杯の舞台に、今回は立つことができて、それは自分にとっても大きな成長になったと思うし、すごく大きな経験をできた大会だと思っていた。終わってしまうのはちょっと寂しいなと思った。
――どんな大会だった
世界最高の舞台というのをずっと求めていたので、その舞台で、高いレベルの中でサッカーをやれたこと。あと、ホームということで、なかなかこんな環境でサッカーをさせてもらえることなんてないし、そういう意味ではものすごく大きな経験をさせてもらったと思う。
――W杯はどんな気持ちで戦ったか
グループリーグというのは3試合考えての戦いだったが、決勝に入ると一発勝負だったので、やはり1試合の重要性とか、どうにかして勝たなきゃいけないというプレッシャーもあった。結果がすべてなので。そういうものはすごく感じた。
――(トルコ戦は)どんな思いでピッチに入った
後半から出たので、チームに勢いをつけたいと思っていたし、自分としても失敗を恐れないで、思い切り前に出て行こうと思っていたので、そういう気持ちがいい面に出て、いい展開につながったと思う。
――監督あるいはコーチからはどんな指示を受けていた?
自分の特長は裏に出ることだし、スペース使うことだと思うので、「そういうプレーのチャンスがあったら前に出ろ」という風に言われていた。自分でもそういうつもりでやっていたし、良くやれたと思う。
――それが見事に結果に出たわけだが
結果としてアシストで得点に絡むことができたし、自分としてもどうにか得点に絡みたいということを目標にしていたので、そういう意味では自分でも理想的なボールを上げれたし、結果も付いてきたたので、非常にうれしかった。
――チュニジア戦とその前の試合では、だいぶ気持ちも違ったのか
1試合目のベルギー戦は、本当に緊張感というか、そういうものが大半だったが、チュニジア戦ではだいぶそれもほぐれて、落ち着いてサッカーを楽しむことができたんじゃないかな、と思う。
――(ベルギー戦で)失点した時は、どういう気持ちだった?
ラインがちょっとそろっていなくて、自分が残ってしまって、自分のミスで点を取られたので、次はどうにかしたいという気持ちでずっとやっていた。1つのミスでも、ワールドクラスになると、そこを突かれるので、細かいところをしっかり修正していかなきゃいけないということを強く感じた。ラインのコントロールができていなかったので、そういう細かいところのミスが命取りになるということを肌で感じた。いい経験だった。
――あの後、どんな会話、指示があったのか
とにかく、点を取られたことに関してはそれをひきずってもしょうがないし、とにかく前に前に行こうと考えていた。みんなで、もう1回最初から、自分たちの形でやろうということを言い合って、(それが)点を取りに行く姿勢だったのが、その後(得点に)結びついたと思う。
――大会期間を通して、選手がだいぶ変わったように思うが、市川選手から見てどんなところが変わったと思うか
チームとしてやるべきことが決まり、どんどん精度が高まっていったこともあるし、コミュニケーションも全体的によく取れていたと思う。選手同士が試合中にしゃべるっていうことが増えてきたので、それによって失点とかあまりしなくなったというのがある。
――チームだけではなくて、グラウンドを離れた部分でも、随分ポジションとかを確認していた?
それは、ポジションならポジション別に、ラインの調整だとか、だれがボールにいってだれがカバーをするとか、そういう戦術的な確認とか、グラウンド外でも個々にビデオを見て確認するようになったし、そういうところでの意識の高さというのは、どんどん出てきたと思う。
――変わっていくチームの中で、手ごたえのようなものは感じていた?
チームとして2戦目もいい形で勝てたし、どんどん精度、完成度も高くなっていったので、チームとして本当にいい方向に向かってるな、というのは大会の期間中を通してみんなも感じていたと思う。
――トルコ戦も後半から出場だったが、ロシア戦との違いはあったのか
指示も自分の気持ちとしても、ロシア戦と全然変わらなかったんですけれども、中盤でのプレッシャーも厳しかったし、なかなかサイドにボールが出てくるということが少なかったので、自分としてもなかなか試合に入れなかったというか、ボールが触れなかったので、そういう点があまり良くなかったかな、と思う。
――終わった後、涙を流していたが、試合が終わった後はどんな思いだったか
やはり、試合に負けたことに対しての悔しさというのもあるし、勝てなかった相手じゃなかったので、その分、悔しさが増したと思うし、あとは、自分が後半から出て、何もできなかったということに対して、自分に対する悔しさというかそういうものが強かった。
――この経験を近い将来、遠い将来、どういうふうに結び付けていきたいと思うか
ここで自分としても大きな経験をしたし、自分の求めていた舞台でサッカーができたので、もう一度しっかり自分でやるべきことを考えて、この大会で経験したことを次のステップにつなげていければ、と思う。負けてしまったが、W杯にはまだいいチームが残っているので、勉強の意味でも注目したい。特に目標としているベッカムのアーリークロスを盗みたい。
――市川選手の背中を追いかける選手の卵がたくさんいると思うが、日本のサッカー界においてどんな存在でありたいと思うか
今回は1番年下ということだったが、だんだん年を取るにつれて、いい選手はどんどん出てくると思うし、そういう選手たちにも負けないように、常に高い意識でやっていけばいいと思う。
――この大会に臨むにあたって、地元・静岡を本拠地に置けたということに関しては
地元にキャンプ地を置けて、周りからの温かい声援もあったし、一度くらいは家に帰れる機会もあったので、そういう土地の利はあったと思う。エスパルスの旗もところどころに飾ってくれて、そういう温かさはものすごく感じた。
――ドイツ大会に向けて、自分の中の課題は
まずは、ドイツを考えるよりも、本当にこの大会で感じたように、先には何があるか分からないし、1日1日を大事にして、レベルアップをしていきたいと思う。
実は美しいサッカーは好みじゃないサッカーマガジンより
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