- 1998年7月
イタリアリーグ セリエA ”A.C.ペルージャ”契約
- 1998年9月18日
開幕戦で前年度優勝チームのユベントス相手に2ゴールを記録 鮮烈デビューを果たす。
オーバーヘッドでシュートを決めた試合。
当時ユーベに在籍していたダービッツは試合後のインタビューで中田英寿について聞かれ、
「偶然でユベントスから2ゴールも取る事は出来ない。中田は本物だ。」と答えている。
- 1998年
AFC Player of the Year
AFC All Star Team
AFC Canon Asian All Stars XI 選出
読売新聞 第31回日本プロスポーツ殊勲賞
グエリン・スポリティーボ(イタリア有力スポーツ誌)
セリエA 外国人選手MVP
受賞
- 2000年1月13日
ASローマ 移籍(移籍金350億リラ)
この時の有名な話としてカルロ・マッツォーネ監督の言葉がある。
ペルージャ時代、ローマのフロントが私にヒデのことをよく聞きに来たんだ。
精一杯、ヒデのことを褒めちぎってやったよ。
「彼の実力については、すべて私が責任を持つ」とまで言った記憶がある。
彼が偉大なカルチャトーレであることに疑いの余地はないんだ。
- 2000年9月13日
移籍後初ゴールは古巣のペルージャから決める
- 2000年9月
シドニーオリンピック出場
- 2001年6月7日
コンフェデレーションズカップ準決勝・豪州戦で決勝ゴールを決める
- 2001年6月17日
所属チームのASローマが18年ぶりにスクデット(優勝)を獲得
- 2001年7月6日
パルマへ移籍(移籍金600億リラ、年俸60億リラ)
- 2002年6月18日
ワールドカップ・KOREA-JAPAN出場 ベスト16進出
- 2004年1月3日
ボローニャへ移籍(6月までのレンタル)
かつての恩師カルロ・マッツォーネに呼ばれ残留に多大な貢献をした。
ただその代償としてグロインペイン症候群という長期離脱を強いられる怪我を負った。
中田は義理堅い面も持ち合わせており、このチームでは監督の為に頑張っていた。
カルロ・マッツォーネ監督
とにかく、ヒデにボールを預けておけば何とかしてくれるという感じだ。
子供たちのサッカーを見るとわかりやすいのだが、
子供たちはチームで一番上手いと思われている選手にボールを集めるだろう?
今のヒデがまさにそれだ。ヒデにボールが集まる。全員がヒデを一番上手い選手だと認めている証さ。
私も子供の頃はよくみんなからボールを預けられたものだよ。
ただ、私の場合は一番上手かったわけではなく、
私のボールを使ってサッカーをしていたからなんだがね(笑)。
- 2004年7月18日
フィオレンティーナへ移籍