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ジダン、今季限りで引退

26.04.06

ジェフ相手だから楽しめると思うんで

かっこ良いね!

プレーで頑張って結果を残すことによって、お客様を呼び込むことです

俺もスタジアムうんぬんはおかしいと思った。

ケリーに感じた『自分と通じるもの』

ケリー元気かなぁ。

ジダン、今季限りで引退=ドイツW杯が花道に-サッカー

 【ロンドン25日時事】サッカーのスペイン1部リーグ、レアル・マドリードに所属するフランス代表MFジネディーヌ・ジダン(33)が、ワールドカップ(W杯)ドイツ大会を最後に現役を引退する決意を固めたことが25日、明らかになった。
 フランスのテレビ局、カナル・プリュスに対し、「自分自身の決断であり、最終的なもの。自らの体に尋ね、もう1年プレーするのは難しいと判断した」と語った。レアルとの契約は来季末まで残っていた。
 世界屈指の司令塔として活躍し、フランス代表では99試合に出場して28得点。地元開催の1998年W杯で母国を初優勝に導き、2000年欧州選手権も制した。国際サッカー連盟最優秀選手を98、00、03年と3度受賞し、98年には欧州最優秀選手にも輝いた。

 “レ・ブルー”(フランス代表の愛称)としてはワールドカップ(W杯)と欧州選手権でそれぞれ1度ずつ優勝。かつて所属したユベントスや、今シーズン末までプレーするレアル・マドリーでのタイトルも含めて、彼は17年間のキャリアの中であらゆるものを勝ち取ってきた。
 1972年6月23日にマルセイユで生まれたアルジェリア系フランス人のジダンは、1989年5月20日にカンヌでプロデビュー。まだ17歳にもなっていなかった。1992年にボルドーに移籍するとフランス代表にも招集され、2-2で引き分けたチェコ戦で2ゴールという衝撃のデビューを飾った(1994年8月17日)。
 1996-97シーズンにはユベントスに移籍。スクデット2回、ヨーロッパ・スーパーカップ1回、トヨタカップ1回のタイトルを獲得したが、チャンピオンズリーグでは2度の準優勝という残念な結果に終わった。1997年はボルシア・ドルトムント、1998年はレアル・マドリーが優勝した。
 だが、その悔しさを晴らす機会はすぐに訪れる。1998年、地元開催のW杯を制し、熱狂するフランス国民の前でトロフィーを掲げた。この年はバロンドール(欧州最優秀選手賞)も受賞。2000年の欧州選手権(ユーロ2000)でもイタリアを破って優勝を果たした。
 だが、沼地と化したペルージャのグラウンドでスクデット(2000-01)を失った後、海のある場所に住みたいという妻の希望もあって新天地への移籍を決意。行き先は海のないマドリーだったが、7500万ユーロという当時のサッカー史上最高額の移籍金が支払われた。
 レアルでは悲願のチャンピオンズリーグ優勝を達成。2001-02シーズンのバイヤー・レバークーゼンとの決勝では奇跡のようなゴールを決めた。だが、ワールドカップ韓日大会を3日後に控えて太ももを負傷。グループリーグ3試合目のデンマーク戦で復帰したものの、王者フランスはグループリーグで姿を消した。
 2002-03年シーズンにはリーガ・エスパニョーラ優勝。しかし、レアルはもはや“銀河系軍団”の名にふさわしいチームではなくなっていた。代表チームでも苦悩は続く。ユーロ2004では格下とみられていたギリシャに敗れて準々決勝で大会を去ったが、結局そのギリシャがタイトルを獲得した。“ジズー”(ジダンの愛称)はこの大会を最後にいったん代表を引退。1年後の夏に復帰を果たし、W杯・ドイツ大会の予選で苦戦していたフランス代表は息を吹き返した。

「最終的な決断だ。ワールドカップ後に引退する」

 フランスの衛星放送局、カナル・プリュスによる独占インタビューの中で、レアル・マドリーのフランス代表MFジダンは、現在彼が置かれている状況について語った。
「少し前から考えていた。自分の精神を自由にしたかった。何度も考え直したよ」
 引退を2カ月前に発表することを決めたのは、レアル・マドリーが代役を見つけられるようにするためだ。
「変に思われるかもしれないけど、ワールドカップの後、3週間のバカンスを終えてから『引退する。別の選手が必要だと思う』とクラブに伝えるのは無理があると思う」と、ジダンはこの時期に引退を発表した理由を語った。
 引退を決意した背景には、フィジカル面に問題を抱えているという理由もあるようだ。
「また新たなシーズンを始めることはできない。僕の体がそう言っている。それに、もう3シーズンも結果が出ていない。そういう時には疑問がわいてくる。今まで自分がしてきた以上のことができないのはよく分かっている。今の年齢ではなおさら難しい。今年のようなシーズンはまた繰り返したくはない」

ジダン引退発表に各方面から反応のコメント

 ジダンは鮮やかにフェイントをかけた。26日に予定されていた彼の記者会見を、首を長くして待っていた全マスコミの裏をかいて、ジダンは25日にフランスの有料テレビ『カナル・プリュス』のカメラの前で、今回のワールドカップ(W杯)終了後に引退することを発表した。

 6月23日に34歳の誕生日を迎えるジネディーヌ・ジダンは、所属するレアル・マドリーが思うように白星を挙げることができず、停滞を続けるばかりで再起をかけられないことに我慢ができなかったのだろう。フランス代表を世界チャンピオンに導いたエメ・ジャケ元監督は、『カナル・プリュス』のインタビューで次のように答え、この2年間が彼の決意を大きく左右したと見ている。
「ジダンがもし別のクラブでプレーしていたら、おそらくもっとプレーを続けていただろう。今のレアルでの役割とは多少異なる、やや別格というか、フランス代表で担っているような役割を与えてくれるようなクラブに在籍していたなら、ね。レアルでは彼の威力を十分に発揮できなかった。素晴らしい試合は何度もあったが、シーズン全体ではいまひとつだった。こうしたことが彼を消耗させてしまったのだろう。それでも、彼のキャリアは輝かしい。ジダンはたぐいまれな選手だ」

 レアル・マドリーだけでなく、フランス代表にとっても彼の引退は特別なものだ。その偉大なテクニック、観察力、ボールをさばく時のスマートさなど、ジダンはほんのわずかな選手にのみ与えられている才能をたくさん持っている。
 ファビアン・バルテズは、「ジダンは最もビッグな選手。引退は彼だけが決めることができる。ここ数シーズンというもの、ジダンはユベントス、レアル・マドリー、そしてフランス代表で最も高いレベルのプレーをしてきた。いつまでもそんなプレーを3日おきに続けることなんて無理なこと」とコメントした。

 また、カンヌでジダンのデビューを見守ったギー・ラコンブ監督は、「引退するにはちょうどいい年齢だろう。レアル・マドリーとW杯でキャリアを締めくくる。もしフランスがW杯を制したら、これ以上の花道はないだろう」と語っている。
 アーセナルがチャンピオンズリーグ決勝進出を決めた後、『カナル・プリュス』のインタビューに応じたティエリ・アンリも、W杯での成功を願っている。
「ジダンが素晴らしい結果を残して引退できるよう、みんなで一生懸命頑張る。そのくらいやるのは当然だ。普通の選手とはわけが違う。僕らにとって、ジダンがいなくなることは本当に寂しい。サッカーを愛するすべての人々にとっても同じだろう」

 アーセナルのべンゲル監督も次のようにコメントを残している。
「ひとつの輝かしい時代の終わりだ。彼がサッカーにもたらしてくれたすべてのことを思うと、彼の引退は残念だ」
 ジダンへの賞賛は、ユベントスで彼が移籍した1996年に監督を務めていたマルチェロ・リッピからも届いた。
「ジダンに関してはたくさんの輝かしい思い出がある。謙虚で知的な、本当に素晴らしい人物だ。ここ20年で最も偉大な才能の持ち主だろう。彼のコーチだったことを誇りに思う」

 さて、ジダンにとって最後のコーチとなるフランス代表のレイモン・ドメネク監督は、引退の発表がW杯開催前に行われ、チームを不安定にさせる恐れがあることを危ぐしているのではないか。この件に関して監督は前向きなコメントを残しているが、そうした思いは端々に感じられる。
「引退を今発表することで、ジダンは大会への準備を順調に進め、落ち着いてプレーすることが可能になるだろう。W杯で有終の美を飾りたいという彼の意欲は私もよく知っているし、彼にはまだ、W杯で優勝し、サッカーの歴史に新しい1ページを加えることができると確信している」
 ドメネク監督はそれでも、「全サッカーファンと同じように、今度のW杯が終わってから彼の姿がピッチで見られないのかと思うと、やっぱりちょっと悲しい」と本音を漏らした。

本当に寂しい。。。

高等教育を受けた後も仕事に就くことができないという現実は確かに存在する

反骨精神が生んだジダンの仲間。

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